偉人・敗北からの教訓

ドキュメンタリー/教養

偉人・敗北からの教訓 第104回「井伊直弼・桜田門外に散った辣腕の大老」

幕末、桜田門外の変で命を落とした大老・井伊直弼の敗北を紐解く。混乱する幕府の再建に力を尽くしていた最中、突如、水戸藩士らに襲撃され、命を奪われた理由とは?

8月23日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン

偉人・敗北からの教訓 第104回「井伊直弼・桜田門外に散った辣腕の大老」

幕末、幕府の方針に反する尊攘派の藩士らによって命を絶たれた井伊直弼の敗北から明日を生きるための教訓を探る。1815年、彦根藩主・井伊直中の十四男として生まれた直弼は家督を継ぐ可能性がほぼなく、青年期には埋木舎と名付けられた屋敷で学問や居合、茶道などに没頭する日々を送っていた。ところが、1850年、兄である井伊家当主・井伊直亮が亡くなり、36歳にして彦根藩主に就任した。
1853年、黒船が来航、さらに将軍の後継者問題が起きると、直弼は幕府の混乱を収めるべく、大老に就任。天皇の勅許を待たずに日米修好通商条約に調印し、将軍の後継者を紀州派の徳川慶福に決めるなど辣腕を振るうと、さらに、秩序を乱す者を容赦なく弾圧する、安政の大獄に踏み切った。しかし、この強硬策が反感を買い、1860年、直弼は桜田門外で命を絶たれてしまう。直弼はなぜ、暗殺を避けることができなかったのか?
直弼の死を幕府はすぐには公表しなかった。藩主が後継者を指名する前に亡くなると、家が取り潰されてしまうからだ。幕府は混乱を避けるため、「大老は治療中」と偽り、井伊家の存続と跡継ぎの手続きを最優先で進めたという。しかし、直弼が暗殺されたという事実はすぐに知れ渡り、世の中は一気に幕末の騒乱の渦に飲み込まれていく。直弼は亡くなる年の正月にある歌を詠んでいた。直弼が歌に込めた思いとは?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。

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